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【音楽】

'00年、多重録音とサンプリングによる5曲をつくる。8bit、モノラル。現存しない。'03年、詩朗読ライブ「地団駄ライブ! 朗読ビート!」にて荒木田義人氏の朗読のために、作曲ソフトと波形編集ソフトを使い、4曲をつくる。YouTubeチャンネルに投稿されたBGM-1からBGM-4がそれである。それからも作曲を学び、数十曲を打ち込みで制作。しかし'08年を最後に制作環境を失い、放浪生活をする。'11年の暮れ、カプセルホテルのPCより、SoundSnapの効果音の音源を使って「the Dream Fades Away And The Horse Takes A Shit」を作曲。翌年には、アルバム「open all night / for Missing Person」を制作。少数プレスし、販売する。'13年、知人よりアコースティックを譲り受け、"歌モノ"をつくりはじめる。Hydrogen drum boxを使い、翌年にはデモ・アルバムが完成。ライブ活動も始めるが、持病のために中断。'18年に再開し、デモ・シングルを制作。現在、自作にむけて、ヴォイス・トレーニングなどを受けながら準備中である。

 

【写真】

'96年、旅行先の土産物屋で、110フィルム使用のポケットカメラを購入。'98年、戸崎美和の写真に惹かれる。'02年、スメナ08を購入。多重露光やバルブ撮影を憶える。寺山作品をきっかけに森山大道を知る。'12年、古物商からMinolta Hi-matic-f を千円で買い、撮り始める。'13年、撮りためた写真を詩集「38wの紙片」に使用。写真詩集とする。'18年、スメナ・シンボルを購入。日常的に写真を撮る。高橋恭司を知り、かれの写真集を蒐集する。'20年、写真を一冊にまとめる。販売と、ポートフォリオとしての配布を計画している。

 

【イラスト】

幼少期より絵を好む。12歳時に短編漫画(石ノ森章太郎のマネをしていた)を書く。中学にあがって美術部に入るも、2週間で辞める。絵を描かなくなる。3年生にあがってふたたび書き始めるも、漫画は描かず。高校にあがり、短編漫画(つげ義春を意識していた)を1篇のみ描く。'03年、詩の朗読ライブのためにパンフレットやポスター用のイラストを描く。そのあとも断続的には描いていたが、環境が揃わず、画材も吉祥の顔彩と、日本画用の筆が数本あるかぎりだった。'12年に奈良県西大寺で、'17年、栄町通で個展を行う。ポストカードを「ブックス・カーリーズ」にて販売、ネットを通じ、数人に原画を販売。基礎を学びたいが、いまは休止中で、この3年間に描いて完成させた絵は、(漫画のネームを除き)3点のみである。

【デザイン】

'03年、「2ちゃんねる大阪朗読会」にてポスターとパンフレットの編集とデザインを担当。ホームページにもイラストが起用される。そのあと、神戸wacawacaでのライブではパンフレットのイラスト、タイポグラフィ、エピグラフを担当。'12年、最初の詩集「終夜営業|OPEN24 HOURS|発送受付」を手製本で発刊。表紙をデザインする。そのあとも自作品のすべてのデザインをみずから行う。

【小説】

中学時代より小説を書き始める。しかし人生経験のなさから、徐々に詩へと移る。高校時代に2篇の短編を書く。22歳時、犯罪小説を耽読し、みずからも書こうと足掻くが不発に終わる。26歳、短編「パンケーキの墓」を書くも失敗に終わる。翌年、「旅路は美しく、旅人は善良だというのに」を掃き始める。'12年、年明けに完成。さらに「光りに焼かれつづける、うち棄てられた冷蔵庫のブルーズ」を書く。'18年に新人賞にむけてふたつの中篇を書くも落選。'20年に短篇集をだしたものの、師匠である森忠明の意見に従って、内容を改訂、エピグラフを削除、題名も「夏の兵士たち」に改めて再出版することになる。そのあとも小説を書き、長篇では「裏庭日記/孤独のわけまえ」を完成させるも、コストがあまりにもかかるので出版を中止、ブログでの公開にとどまった(なお、ブログと実際の完成版では終盤が大きくちがっている)。現在は、習作づくりに終始している。

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